俯瞰する。
ということを分かっているけれど、使えない。
つい、忘れてしまう。
意外と難しいです。
ニュアンスが難しいのだと思います。
俯瞰をマスターしたいのなら、
俯瞰よりその上のニュアンスを知れば
俯瞰も使える!
ということで、「空(くう)」を使いましょう。
俯瞰ってどうやるんだ?
と、俯瞰するとき、やりたいとき。
何かに行き詰まっているとき。
そんなときは、空(くう)に入りましょう。
もう解っているはずです。
この世界は、空(くう)であると。
でも、空(くう)だと認めてしまうと
この。
いまの、存在している。
という価値もなくなるのではないのかと。
そう思うかもしれません。
でも、それとこれの空(くう)のニュアンスは違うのです。
現実のリアル世界のとき、
何かに行き詰まっているときに、
「空(くう)」に入る。
あ、これは空(くう)なんだ。
結局はこれも無意味なんだ。。。
と、
一度パーン!と弾けとばしてから、
現実のリアル社会に戻ってくる。
戻ってこないと、現実のリアルがピンチです。
戻ってきて、空(くう)から離れます。
そして、第3の目、
中眼(ちゅうがん)を開きます。
おでこの辺りから、出てくる感じです。
一度、空(くう)に入ると第3の目が開きます。
開くはずです。
空(くう)を認識して価値観が崩壊したので。
ニュアンスですから。
伝われば幸いです。
それにより授かった、
その第3の目でリアル現実社会を見る。
この世界は、空(くう)である。
と。
お釈迦様はもう、
説き終わってるんです。
1度、空(くう)に入れば楽になれます。
そして、戻ってくる。
第3の目でリアル現実社会をみる。
お釈迦様も説いてたんです。
お釈迦様は、この世界は、空だと説いてます。
ただ、「その先が無い」ということが肝心なのではなく、
空(くう)なのは事実だが、空(くう)にとらわれず
中眼(ちゅうがん)で生活しろ。
中観。
と、いうことです。
なぜか?
空(くう)で生きるのは、ぶっ飛びすぎるからです。
中眼(ちゅうがん)で生きれば、楽なんです。
どちらにも偏らないから。
どれにもとらわれないから。
こだわりがなくなるという感じでしょうか。
なぜなら意識すべきは、
まず自分の世界のことだからです。
物質社会は、むしろ誘惑しかありません。
どちらの誘いもやはり誘惑です。
本当に沢山の誘惑に負けまくります。
ただ、少しずつ誘惑に勝っていけばいいんです。
1日、数えきれないくらい誘惑に負けてるのであれば、
1つだけ誘惑に勝ってみる。
これをちょこちょこ増やしていけば、
楽です。
全部の誘惑に勝つ!
というようなストイックでは誘惑に勝てません。
1つだけ勝つ。
1日のうち、1つだけ誘惑に勝つ。
じょうがん、ちゅうがん、げがん。
もちろん、上眼である空眼(空観)はもう使えます。
下眼(げがん)=仮観(けがん)で見てるのが、
物質の世界である。
と、日本のお釈迦様は言ってます。
リアルな現実社会では第三の目、
中眼(中観)。
そして、
空眼(くうがん)を使って、
思考の世界の構築に意識を使いましょう!