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考え方

如来(メンター)の宇宙で修行しているか?

投稿日:

 

 

仏教も少しずつですが、学んでいます。

 

如来のもとにいますか?

 

如来を見つけましたか?

 

 

あなたの身体にある1つ1つの細胞。

 

「肉眼で見えない細胞」も、ある意味宇宙です。

 

細胞1つ。

 

ウイルス1つ1つ。

 

1つ1つが、1つの宇宙を形成しています。

 

あなたが想像する宇宙と同じくらい

 

あなたの身体の中にある小さな細胞も

 

「膨大な大きさの宇宙」を持っています。

 

 

その見えない宇宙の先には何があるのか?

 

宇宙の見えない先には何があるのかなー?

 

そう考えたことがあると思います。

 

考えたあげく、

 

答えは出なかったと思います。

 

 

なぜ答えを探すのを辞めてしまったのでしょう。

 

 

その答えは、仏教や聖書で現すと

 

先ほど述べたように

 

あなたの身体の中にある細胞。

 

小さな細胞。

 

無数にある細胞の1つ1つにそれぞれの宇宙くらいのコロニーが無数にある。

 

ということです。

 

 

宇宙で例えると、見えない宇宙の先にあるモノは、

 

また全く違う別の宇宙がある。

 

そしてその宇宙の先は、数えきれない無数の宇宙がある。

 

そう説いてます。

 

 

さすがお釈迦様。

 

とんでもないことを説かれました。

 

 

が、現実です。

 

 

平行宇宙と仏教と量子力学を組み合わせる

 

「パラレルワールド」という言葉をよく見かけるようになりました。

 

なぜパラレルワールドという平行宇宙が無数にある。

 

といわれるようになったのか。

 

それは、パラレルワールドの存在が科学的に解明されてきたからです。

 

ブッダが説いていたような世界が科学的に証明されるようになったからです。

 

目に見える現実は、まやかしで

 

本当の世界は、

 

精神の中である。

 

 

太陽が登って、日が沈み

 

夜になる。

 

そこで肉体を使って行動しているのは「まやかしの世界」である。

 

本当の世界は、

 

そのまやかしから脱出して、精神の中の世界である。

 

 

肉体の世界で例えると「思考」の中が本当の世界に近い。

 

 

 

もし、星が綺麗な夜空を見たときはこうやってみて下さい。

 

綺麗な星が見えますが、その星はただのまやかしだと思い夜空を見てください。

 

星の光りは無いものだと。

 

周りにある建物や草や木。

 

すべて、そのに無いものだと。

 

 

 

真っ暗になります。

 

見えるのはブラックホールだけです。

 

 

 

それが本当だと、仮定して。

 

 

ただ、たまたま人間の中に居るだけです。

 

もしかしたら人間に生まれなかったほうがすぐ脱出できたかもしれません。

 

虫や最近に生まれたほうがよかったかもしれません。

 

 

この世界は、誘惑が多い世界です。

 

 

如来(メンター)に2つの世界の歩き方を教わる

 

電気が無かった時代は夜になると星しか見えませんでしたが、

 

現代、人々は夜空を見ることもない生活習慣を取り入れてしまいました。

 

先ほど述べた「無であり、無限である世界」

 

仏教や聖書は、そこがスタートで、

 

その世界で何をしているのか?

 

を説いているものです。

 

 

そこで、今回のタイトルに戻ります。

 

 

如来(メンター)の宇宙で修行しているか?

 

 

さて、如来を見つけましたか?

 

如来のもとで学んでいますか?

 

仏教的に例えると、

 

「如来を見つけて」、

 

如来から学ばない限り、如来になれません。

 

如来にならない限りビッグバンを起こせません。

 

 

ビッグバンで1つの宇宙が形成されることを聞いたことがあると思います。

 

 

ビッグバンを起こせない人達。

 

ビッグバンを起こそうとも思ってない人は、

 

芥川龍之介の羅生門「蜘蛛の糸」の奈落の底にいる人達です。

 

如来は引き上げてくれる人です。

 

 

ただ、如来を探さないといけません。

 

 

ぶっ飛んだ世界にいることを認識して下さい。

 

仏教や聖書を少しずつ読み始めてもよいでしょう。

 

ゼロから仏教や聖書を学びはじめると、とてつもない時間を労します。

 

解釈の違いで無数の著書になっています。

 

でも、日本人はラッキーだと思います。

 

宗教の壁がないので、仏教を読んでも聖書を読むこともできます。

 

 

 

如来(メンター)を見つけることは、

 

仏教では当たり前のことです。

 

1人で仏教や聖書を学び続けることは苦痛です。

 

そんな忍耐力があれば、もう如来になっているはずですから。

 

 

 

たまたまメンターを見つけていて、

 

たまたまメンターの上にはさらにメンターがいるという。

 

たまたまなのか、必然なのかは解りませんが、

 

たまたま学んでいました。

 

沢山のことを教えて頂いていたので、

 

すんなり仏教や聖書の世界にも入ることができました。

 

 

なぜか仏教や聖書が理解できるのです。

 

 

如来はメンターであり、メンターの師匠は、

 

その上の階層の人です。

 

改めてメンターの重要性が分かりました。

 

 

私もまだ学び始めたばかりです。

 

肉体の世界と精神の世界を同時に楽しんで

 

学ばさせて頂いています。

 

 

 

よいメンターに出会いますように。

 

 

私のメンターはこちらの方です。

その人が解る入り口

 

 

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